第17話


 仄暗い、石柱に囲まれた部屋。淡く緑に揺らぐ炎、その円柱状の部屋の中心に二人の男が立っていた。一人はガルガ、もう一人は大きな帽子を被った老人だ。

 ガルガは大きな声で、老人を殴りつける。

「なんとかしろや! 爺さん、あんたにできない事は無いンだろう!」

 その老人はガルガから目を放さず、真っ直ぐ見据えこう告げた。

「残念ながら、お前の願いは叶えてやれん。お前は必ず死ぬ。これは不回避の運命じゃ。ありとあらゆる可能性の先には死が待っておる。それは時間的に見てもうすぐ訪れる。哀れじゃなぁ、死を恐れ永遠侵書クレコマイアにまで手を出したというのに」

 ガルガは怒りに身を任せ老人の胸ぐらを掴み上げる、そして殺意の眼光で睨みつけ、獣のようにうめき声を上げる。

「ワシを殺すか? そんな無意味な事をしないなぁ、お前は。我らカイオン塔の守り部の中で最も合理的で、狡猾なお前はそんなことをしない」

 ガルガは少し息を落ち着けると、老人から手を離し、冷静さを取り戻して老人に問う。

「なら他の世界へ行けばどうだ、その世界の俺を消してその可能性を奪えば」

 老人は首を振る。そして中央の玉座に座ると、静かに口を開く。

「それも無理じゃ。確かにお前は始因子だ、本来他の世界の自分に遭遇すれば両者が消滅する。だが全ての自分の中の始まりであるお前なら、消えるのはお前以外のお前のみ。そしてその世界のお前に取って代わり可能性を奪おうという事なのだろう? だが無理じゃお前の可能性、つまり運命はついて回り、他の世界の運命を塗り潰す。言っただろうこれは不回避の運命だと」

 ガルガは立ち尽くす、せっかく全てを手に入れた、望むもの全てを、なのにそこに自分がいない? そんな馬鹿な話は無い。

「俺は・・・」

 老人は呟いたガルガを見る、そして哀れんだ目を向ける。だがその瞳はすぐに驚いた色に染まった。彼はきっと、この時にもう悟っていたのだろう。

「俺は必ず生き残る!」

 ガルガは階段を降り塔より出た。塔の外にはただ悠久を刻む大時計と時間という不可逆粒子が満ちているばかりだ。天国という言葉が一番似つかわしいだろう、ゆっくりと流れる雲に寄り添う光たち、そして塔に続く大きな橋、塔の向かいにはただ一つ、アパートの扉がポツリと浮いている。

「俺は終わらない! 終わる時が来るとすれば、それは世界が終わる時だ! そうに決まってンだろう!」

 ガルガは天に向かって叫びその大声で空を殴りつけた。

「なかなか面白いな、お前。自分が死ぬときは世界の終わるときか・・・クク・・・いいぞ、そのモノの見方は好感を持てる。お前、私と共に来ないか?」

 その男は唐突に背後から現れた、鉄靴を鳴らし黒いローブを揺らしながらガルガへと近づいてきた。

「だれだぁ? テメェ」

 その男はガルガまで四歩の距離で立ち止まり、杖をカンッと地面に突き立てて微笑んだ。

「私はファートゥム、尊在冠の片割れにして終わりを尊ぶもの。私なら君の運命を変えてやることができる」

 その言葉にガルガは訝しげにファートゥムを睨む。

「なンだと?」

「この槍、名をイタデオという。これは他者の運命と自分の運命を交換することができる、代替交換の槍だ」

 ファートゥムは何処からとも無く取り出した槍をうっとりとした表情で眺め光にかざしたりしながら槍の事を語った。

「この槍で殺せば一つ運命が変わる、即ちお前が生き残るためには莫大な数の人間を殺さなければならない。どうだ、お前なら他人の運命など軽いだろう? 私に協力するというなら、この槍はお前のものだ」

 ガルガは腕を組みながらいまだ警戒した様子だ。

「お前は、俺に固執しているように見える。偶然のように現れたが、偶然じゃねぇ。そうだろう? 何が目的だ」

 ファートゥムはクスクスと笑い始めた、黒いローブを揺らしながら。

「なかなか読みもいい、そうだお前が希蓄だからだ。お前が私のそばにいればそれでいい、他の誰かに奪われるのは困るのだよ」

「?」

「とにかく、今はお前の言葉一つだ。槍が欲しいか、欲しくないか」

 スッと槍をガルガへと突き出すファートゥム、ガルガはもう警戒しなかった。迷わず槍に手を伸ばす。

「もらうに決まってンだろ」

 ガルガはその殺戮の運命を手にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 地下牢に命の絶える音がする。一人の男が槍を振るい、一人、また一人と死者が増える。

「うぅう、あぁあ」

 男は槍を振り上げ、弱々しく呻く人間に止めを刺す。勢い良く飛び散る血飛沫は牢獄の石壁を赤に濡らす。

 こつ、こつ、こつ・・・

 牢獄に来訪者が訪れたようだ。

「どうです? 順調ですか? ガルガ」

 ガルガはまた槍を振り下ろし、命をまた一つ奪う。

「あぁ、まだまだ足りねぇけどよ。人間が切れた、また入れといてくれよ、契約通りな」

 マハトメは壁によりかかりながら、懐中時計を見ている。

「解かっていますよ、僕のかけた呪いで僕が死ぬなんて笑えませんしね。さて? どうなんです? 後どれほどの人間の命を踏みにじればあなたは助かるのですか?」

 カンッ、と槍を地面に突き立てガルガは振り返る。その顔は返り血で真っ赤になっている、紛う事無き殺戮の証。

「感覚的なモノでしかわかンねぇが、まだまだ先みたいだ。時間がねぇのによ」

 マハトメはシャリンと懐中時計をポケットにしまうとクスリと笑んだ、何処か馬鹿にするような風で、すこし癇に障る笑いだ。

「そうですか、まあ頑張ってください、僕は最後の詰めにいってきます。あなたは作戦通りに」

 ガルガはフンと鼻をならしてそっぽを向いた。マハトメはゆっくりと一つ伸びをすると殺しの牢を後にした。

 世界画廊に戻ると入り口でファルバッホがマハトメを待っていた、何処となく余裕の無いような素振りをしていた。それを見たマハトメは本当に頭の回る男で、だいたいの事を察していた。

「ファルバッホ」

「マハトメ! 四季蛇が・・・う」

 ファルバッホが最後まで言い終える前に、マハトメは人差し指を彼女の唇に当てた。

「あなたの焦り具合を見れば大方察しがつきましたよ、予想よりもかなり早いですね。もう少し、そうですね・・・せめて紅茶を楽しむくらいの時間はあると思っていたんですがね?」

 ファルバッホは二度ほど瞬きをすると精一杯のボディブローをマハトメに喰らわせた。ドサリと崩れ落ちるマハトメ、その画はとてもシュールだった。床に倒れるマハトメにファルバッホは人差し指を突き出し、怒鳴りつけた。

「馬鹿者! 気安くさわるな! それになんだその余裕は! 覚醒が早まったんだぞっ! 急がなくてならんだろうがっ!」

 マハトメは殴られた腹部を押さえながら寝返りを打ち仰向けになる。

「ははは、まあまあそう焦っても仕方無いでしょう? とは言え、急いだほうが良いのは事実ですね。そういえば今日はスカートなんてはいてるんですね、なかなか可愛らしいですね、下着がっ・・・!」

 ファルバッホは顔を赤くして、胡桃でも割るように思いっきりマハトメの顔を踏みつけた、ぱたりと・・・マハトメは動かなくなった。

「ゼンのところに行って来る、お前も準備を済ませておけよ」

 長く伸びたマフラーを翻し、ファルバッホは去っていく、上から降り注ぐ光を反射し眩く輝く髪は金の乙女に相応しいものだった。

 

「ふむ、おそかったですなぁ」

 マハトメがふらふらっとゼン達の場所へ行くと、ファルバッホは一切マハトメと目を合わせてはくれなかった。腕組みしながらツンとそっぽを向いている。

「いや、冗談の分からない凶暴な乙女に痛めつけられてしまいましてね」

 減らない口とはこういうものか。マハトメは先ほどファルバッホに殴られた事を面白可笑しくちゃかそうとした。

 そんなマハトメに突き刺さるような視線。今にも殺さんとするオーラがファルバッホから放たれていた。

「……すみません」

 いまこの瞬間において彼こそが最も素直だといいたくなるくらいに、マハトメは素直に謝った。

「……コホンッ。さて、お遊びはここまでとしますか。これから僕たちがどのように動くのか確認しましょう」

 先ほどまでの楽しいげな雰囲気とは一変してマハトメは真剣な面持ちでこれからのプランを語り始めた。

 30分ほど経った頃だろうか、一通りの話とそれぞれの意見交換が終わったようだ。

「よろしい、では皆さん行きましょうか。それと、ありがとうございます」

 ふざける様子もなくただ真摯に、マハトメはギとファルバッホに頭を下げた。

「構うな。私はただ己の贖罪のために動いている。それだけだ」

 それだけ言うとふいっと、ファルバッホはそっぽを向いてしまった。

「私はあなたに恩を返したいのですよ。だから気にしないで頂きたい。必ず私の役割を果たして見せましょうぞ。」

 ギは腕組みしながら、まかせよと力強く頷いている。

「わかりました。それではやり遂げましょう。我々が目指す世界のために」

そして彼らは世界の墓場へと歩き出した。

 

 

 物悲しさだけがそこにあるような、そんな空気が満ちている。ここには終わった世界がいくつも横たわる。その体にどれほどの命を内包していたことか。どれだけの可能性があったことか。

 心が冷えていくような感覚を、この場にいる者は多かれ少なかれ感じるだろう。

 そんな寂しい場所で蛇は一人、虹色に輝く涙を流し、青色の悲しみが体からあふれ出していた。

「タプレタトワロ、平常心を取り戻したか」

 荒れ狂うタプレタトワロを追っていたオリジン達は世界の墓場にたどり着いていた。オリジンは四季蛇がまともかどうか確かめる意味合いもあって、警戒しながらも声をかけた。

「先ほどの世界には悪いことをした。混乱していたとはいえ、ワシはまた世界を殺してしまった。」

 四季蛇はオリジン達に振り返ることもしないまま、静かに自身が行った事を悔いていた。四季蛇を構成する色とりどりの粒子はどれも物悲しい青が目立つ。

「シャスラナカ、しかしこれはどういうことだ。世界が…ワシが愛した世界がこれほどまでに死んでいる。ワシは…悲しい」

 風が泣く。四季蛇の一喜一憂に空間が支配されているようだ。オリジンの頬を冷や汗が伝う。四季蛇の動揺が、心の乱れが強まれば、今度こそどうなるか分からない。

 それほどまでに四季蛇というのは規格外なのだ。隆起兵の力も大したものだが、あれとは比べ物にならないだろう。

 オリジンはなるだけ慎重に言葉を選んだ。

「変化を尊ぶ者と終焉を促す者が動き出したんだ。たぶん、その影響だろう」

 あえて二人の名前は口にしなかった。名前を言わないことで言葉の棘を削ぎ落とせるとは思っていなかったが、それでも彼はゼルヴェンディアとジュナの名前を出さなかった。

「奴らも蘇りおったのか……」

 彼ら始まりのモノ達は皆、自身を封じることを選んだ。選ばされたゼルヴェンディアとジュナを除けば。オリジンはコーズィズアパートに身を置き、一切の干渉を行わない事で自らを封じた。ナーガル・ジュナはオリジンの手によって封じられた。

 ハルシュタッドは自身を世界を連結する機構とする事で自身を封じた。プラタナスは自我を消失させ、命を生成する装置となることで自身を封じる。

 タプレタトワロは自身の力の一部を人間に与え、その力をもってして自身を封じた。

 自分達が生み出したモノに自由と進化を。それが彼らが出した一つの結論だ。

「早く、ワシをもう一度封印しなくては」

「何故だ。操られること無く蘇ったのだ我々と共に戦おう!」

「駄目だ。ワシが戦えば世界はただでは済まない。それにワシにはもう昔のような力は無い。自分のこの力のコントロールさえできない。抑えることで精一杯だ。このまま放置すれば抑えることも出来なくなり、世界を飲み込むだろう。」

「我々の力では貴方を倒すどころか封印さえできない」

後ろから涼が口を挟む。

「この奇跡ではどうすることも出来ないのか?」

それを聞き、タプレタトワロは後ろの涼と崔鬼を見た。

「御主等、奇跡持ちか。」

ふうっとため息をつき、言葉を続けた。

「ワシは彩と概念を司る者、物理的なものではワシに危害は加えられない。それが奇跡でも・・・。ワシを封印出来るのはワシ自身が作り上げた二本の剣だけだ。」

「じゃあ、それをもう一度作ればいいんじゃねぇか?」

今度は崔鬼が前に出てタプレタトワロに話かける。

「今の力ではそれを作り出すことは出来ない。」

「くそっ、じゃあどうすればいいんだよ・・・」

崔鬼は舌打ちをした。

「心配は要らない。御主等の後ろのそれはある。」

全員が後ろを振り返る。

そこには二つの人影が立っていた。

それを見て崔鬼の心臓がドクンッと鳴った。

「あいつは・・・」

あの赤い帽子は姉を殺した仇。

オリジンが二人を睨み付けながら声を漏らした。

「マハトメ、ファルバッホ・・・」

タプレタトワロが二人を招くような声で叫んだ。

「よく来た、契約者の子孫達よ。その剣を使い、ワシを世界に戻してくれ。」

ファルバッホが口を開いた。

「いや、それは出来ない。」

「な、何?」

戸惑ったような声だった。

マハトメが笑顔で言葉を続けた。

「我々は貴方の力を戴きに参ったのです。」

 四季蛇は動揺を隠せなかった。体を彩る粒子はざわざわと音を立てながら紫に輝く。その色は不安を表しているのだろうか。

「我々には果たさなければならないことがあります。そのために四季蛇、あなたには礎になってもらいます」

 マハトメの瞳は覚悟を決めたような、そんな輝きを灯していた。

「ワシとの契約を反故にするのか!」

 赤、赤。赫に染まる空間。その色で、その空気で、その感覚で世界を怒りに染めていくのが肌で感じられる。

「四季蛇、その契約を結んだのは僕ではありません。結んだ者の血族や子孫でもないのですよ。僕は突然変異のようにあなたの力を受け継いだ。そしてファルバッホはその剣を偶然収集しただけです」

 嘲笑。マハトメは四季蛇を挑発するように笑いながらそんな言葉を投げかけた。当然タプレタトワロは動き出す。ただでさえ不安定なのだ、心も体も。

「ゼン。頼みますよ」

 四季蛇は真っ直ぐマハトメたちに襲い掛かる。莫大なエネルギーをその身に宿す四季蛇、タプレタトワロにぶつかられては、この世界のどんなものも消滅してしまうだろう。

 しかしマハトメは余裕の笑みを見せていた。マハトメの前にギ=ゼンが立つ。その手には一振りの刀が握られている。

「私の願いを叶えよ。願刀『再び』!」

 ギ=ゼンはその刀を抜き放った。刀は眩い光を放ちながら、僅か数瞬で砕け散った。

 そして、静寂が訪れた。おそらくそこにいる誰もが言葉を失ったのだろう。風の音だけが静かに鳴っている。

「そんな…馬鹿な。こんな事は予定に無い」

 オリジンですら予期していなかったのか。全てを見通すような穏やかな瞳に、明らかな焦りの色が見える。

 ギ=ゼンの目の前には一振りの剣が、そして四季蛇はこの世界から消失していた。

「何だ? 何が起こったんだよ!」

 崔鬼はわけが分からないといった風に怒り散らした。

「何が起こったか…知りたいですか? なら教えてあげます、特別にね」

 マハトメは地面に深々と突き刺さる剣を抜きながら、勝利の美酒に酔うように言った。

「四季蛇を、タプレタトワロの季節を剣に変換した。それだけですよ。そして剣ならば何でも扱うことの出来るファルバッホが手にすれば、四季蛇の力は丸々僕達のものというわけです」

 焦燥感。彼らがそれだけの力を得て何をしようというのか。それが分からなくとも一人の人間にそれが扱われるという事実が、オリジン達に焦りを募らせた。

「リンドブルム。あれを奪うんだ。今すぐに」

 彼女はその言葉を聞くと同時、或いはそれより早く動き出していた。

「ファルバッホ。今です」

 マハトメはファルバッホに合図を送った。

「承知」

 ファルバッホは地面その背の対陸剣を突き刺し、剣を巨大化させた。そして剣は地面に刺さったまま伸びてゆき何か硬いものに当る。

 その瞬間、揺れた。何もかも。

 あらゆる空間が千切れ、様々な場所から廊下のようなものが飛び出してくる。

「ハルシュタッドの核を貫いたのか。まさかそんな事が可能とは」

 リンドブルムは揺れに足をとられたが、それでもマハトメたちへ跳躍する。鮮烈な赤は弾丸の如く。しかし彼女がマハトメたちに届こうかという所で地面からせり出す廊下に邪魔をされる。

「それでは起源を尊ぶものよ。さようなら。ああそれと、貴方達。次に会うときまでぜひとも死なないで頂きたい。その奇跡は貴方達の手には余るでしょう? 僕が貰ってあげますよ」

 その言葉を聞いた直後、揺れは激しくなり最後には大きな光が放たれ、何も見えなくなった。

 

 光が薄れ、涼は目を開ける。そこにマハトメ達の姿は無かった。そして自分が立っている場所は世界の墓場ではなくなっていた。

「これは、いったいどうなったんだ?」

 目をこすりながら涼は立ち上がり、様変わりした視界を呆然と見渡す。見たことがある。絵画でよく描かれる神々の黄昏、そんな空が広がっている。アパートは無くなって代わりにあったのは、無限を思わせる廊下が縦横斜め、上下左右に張り巡らされていた。

 涼が足場にしているのは同じく石レンガで作られた廊下の天井に当たる部分だろうか。

「おい! 崔鬼! オリジン!」

 気がつけば一人。この途方も無い空間に涼はたった一人になっていた。

「またかよ…。わけもわからんまま巻き込まれて、気がついたら手遅れだ」

 涼は思い返していた。ここ数日で自分の日常は破壊された。妹が死んで、いや殺されて! そして今や自分の世界がどこにあるかも分からない。

 なぜ、こんなことになってしまったんだ。自分が奇蓄とかいう存在だからなのか? 或いはあの世界を作ったとかいう連中の仲違いに巻き込まれただけ? それかこれは夢か、もしくは自分が狂ったか。

 涼は怒りや空虚さや様々な感情が自身を駆け巡り、本当に気が狂いそうだと思っていた。それと同時にこうも思った。見つけなくては。これから何を自分はすべきなのか。元の世界に帰れるとは思えない光景だが、帰りたい。

 平穏はもう訪れないかもしれないがそれでも日常を、もう一度日常へ。そのためには。

「やつ等に問いただす。何故こんな事になったのか。どうすれば元の世界に帰れるのか」

 涼は歩き出した。どこへ続くとも知れぬ長い廊下を。

 

 

 

 

 ここに来るのはもう最後なのだろう。マハトメはそう思っていた。世界画廊の扉の前、ドアノブにかけるマハトメの手は少し震えていた。

「怖いのか?」

 ファルバッホはマハトメの顔を覗き込んだ。澄んだ碧の瞳がマハトメの不安の色をすくい取る。

「ええ、もちろん」

 悲しみとも恐れともつかない表情を浮かべるマハトメにファルバッホは彼の手に自分の手を重ねた。

「私はお前のする事を正しいとは思わない。というか正しいことなんてこの世に無い。それが私の考え方だ。だが、お前が正しいと思うならば、私はお前のすることを肯定する」

 ファルバッホはマハトメの手を強く握った。心を分け合うように。運命を共にするように。

「私も最後まで、貴方にお供しますぞ。貴方に救われたこの命、この心。義にしたがって貴方の力になりましょうぞ」

 ギ=ゼンはマハトメの肩に手をかけた。

「ええ、では行きましょうか。解放の時は今しかありません」

 ドアノブにかける手に力を込め、静かに、力強く回す。かちゃりと音を立て世界画廊の扉は開かれた。

 開かれた視界のその先には純白を体現したかのような少女と、竜のような巨躯と宇宙を身にまとう隆起兵の姿があった。

「ゼルヴェンディアの隆起兵! あなたに話があります!」

 マハトメは怒号のような、雷鳴のような。およそ彼には似つかわしく無い大きな声で、自らの主の名を呼んだ。

「なるほど、もうそんな時期か。結構、我は退屈の業火に焼かれ如何ともし難い苦痛をかんじておったところだ。よい裏切れ、マハトメ」

 ゆったりと蛇のようにゼルヴェンディアはマハトメ達に向き直る。隆起兵の瞳は甲冑に隠れうかがい知れないが、何故か全てを見透かされてるような錯覚を彼らは覚えていた。

 隆起兵の後ろ、玉座のような豪奢な椅子に腰掛けるフリージアはキョトンとして事態を把握していないようだった。

「へぇ。どうして僕が裏切ると?」

 マハトメに大した驚きは無かった。自らの主、変化を司り、変化を愛する。この人外の存在なら先のことを予知するのも容易いのかもしれない、そう考えていた。

「予知ではない。うむ、この言葉をお前に言うのも何度目か」

 今度こそマハトメは驚いた。動揺を隠せない。彼の後ろに控えるギ=ゼンとファルバッホも不安に似た焦りを感じていた。

「どういうことです? 僕の心を読んだのですか?」

 そうだとしたら厄介だ。こちらの考えが伝わってしまうなら、おそらく何も出来ずに駆逐される。純粋な力でさえ天と地ほどの差があるというのに、こちらの手札が筒抜けとあっては正気は微塵も無い。マハトメの頬を冷や汗が伝う。

「心を読む。そんな事は我にはできん。だが我はこの展開をもう何億、何兆、何京と体験している」

 隆起兵は体にまとう宇宙から一本の槍を取り出した。十字閃光の双大槍。隆起兵が生まれた時に共に生まれ、世界に変化を与えた槍。隆起兵は両手で双大槍を掴み地に打ち付けた。

「我は、いや我ら世界を創りしズィ・クレアーレは幾度と無く同じ世界を繰り返している。同じ運命を繰り返し体験しているのだ。お前とこの話をしているのも初めてではない」

 理解が追いつかない、マハトメはそんな顔をしていた。同じ世界を繰り返している? 全てが予定調和だとでも言うのか?

「理解に苦しむな。私から言わせれば何度も同じ世界を体験しているというわりに、あなた達の行動は行き当たりばったりに見える」

 世界画廊の壁に腕組みしながら壁にもたれかかっているファルバッホはつまらなそうにそう言った。

「そうだ。今回は同じではなかったのだよ。だから皆、心かき乱され、予定に無い考えで動いている。我らの中でも欲深きモノ、オリジン、ジュナ、そして我。我らはこの0から100を繰り返す世界の101を欲したのだよ」

 隆起兵は後ろを振り返る、麗憐な白の少女を。

「形無き0の世界を我らは開拓し1とする。やがて世界は自らの力で歩みだし進化していく。だがしかし! 止まるのだ…。あらゆる手を尽くしても100まで行けば必ず進化の限界に直面する。我らは自らと共にこの世界を破壊し、もう一度世界をやり直す。その輪廻にとらわれておるのだ」

 いかなる進歩もあらゆる進化も無く、退化も無く、滅びも訪れない。永遠の安定。そんな世界を永劫を生きる彼らが耐えられるはずも無い。

 退屈を嫌い、寂しさを恐れる彼らの結論は全てのリセットというわけか。

「しかし今回は違ったというわけですな。おそらくその要因はフリージア様であり、リンドブルム様なのですね」

 ギ=ゼンの鋭い眼光が隆起兵を射抜く。

「うむ。この輪廻する世界で始めて輪廻の輪から外れた存在が生まれた。それがリンドブルムである。この世界においてまだ誰も見たことも無いものが生まれるとは思ってなかったのだ。その存在は酷く美しく、手にすれば何か変わる、なにか先に進むのではと思ったのだ!」

 世界画廊に風が吹く。それは隆起兵の歓喜の風か。暖かく冷えるその風はマハトメたちの間を吹きぬけた。

「なるほど。それでフリージア様を奇跡の力で取り込み、世界に限界を突破させると? でもそれは正確ではないですね? あなたは自分を進化させその101とやらになる。しかしその代償に自分以外の全ての存在を無に帰すつもりだ」

 マハトメは隆起兵をにらみつける。その目に宿る光は怒りか、悲しみか。

「フリージア様はあなたの目論見を知ってらっしゃったようです。僕に色々教えてくれましたよ。僕としては自分達の住む世界が無くなってしまうのは大変迷惑な話です。例えあなたが僕達の主で、恩人であったとしてもその考えは許容できません」

 その言葉に隆起兵は落胆した。おそらくはマハトメの裏切りにではない。

「その言葉も飽いた。このタイミングではないが、世界が100に到達し、進化の停滞に落ちる時。我らが世界を壊す際にお前はいつもそれを言いおる」

 繰り返される反逆。隆起兵にとってはもう特に珍しいことではないのだろう。なら何故、隆起兵は裏切られることを知っていて、毎回彼らを集めたのだろうか。それとも、今回は違う。最後まで裏切らないモノを探していたのだろうか。

「お前はいつも死ぬ。この繰り返す世界で必ず我に滅ぼされる。我は毎回違いを加えながらお前を殺す。それが楽しみになってきておる。さて今回はどのようにお前を殺そうか」

 隆起兵はその手に持つ槍、その切っ先をマハトメ達に向けた。もう話す事は無いとでも言うように。

「今回はいつもと違うのでしょう? この世界は。なら終わるのはあなたかもしれませんよ? ゼルヴェンディア!」

 マハトメは駆けた。その両手には既に炎が爆ぜる。実感を持てないほど温度。痛覚から焼き消えてしまうような業火はさしずめ地上の太陽といったところか。

「それもよかろう。変化が訪れるのなら。だがきっとお前はここで果てる」

 隆起兵は槍をマハトメに向ける。刹那赤い一陣の風が槍とマハトメの間に立ちふさがる。

「ファルバッホ早く概念をマハトメに施すのだ!」

 ギ=ゼンはマハトメを槍から庇うように立ちふさがり叫んだ。しかし次の瞬間。何が起こったのか。おそらく常人には理解できない。

 何の前触れも無く、唐突に、忽然と、ギ=ゼンは消えてしまった。

「ゼン! くそ! マハトメゆくぞ! 不変の概念をお前に!」

 ファルバッホは虹色に輝く剣を天にかざす。剣は砕け散り眩い閃光が部屋を満たす。息も出来ないほどの鮮やかな光。その煌びやかさの激流に誰もが溺れそうだ。

「何を! むう、もうよい。マハトメお前も変化せよ、無へと!」

 光に目を奪われながらも隆起兵はマハトメに槍を向けた。その槍の切っ先にいる者は変化を強要される。ギ=ゼンもおそらく無へと変化させられたのだろう。

 長き時を積み上げた命もたった一瞬でなかった事にされたのだ。ただの人間が多少力を持ったところで本来なら打倒できる相手ではないだろう。

「何故だ」

 しかしマハトメは消えなかった。タプレタトワロの季節。その力を持つ剣はマハトメを概念で武装した。“誰にも変化させる事の出来ない”という概念を付加したのだ。

 故に隆起兵はマハトメを消すことが出来なかった。

「ここで終わっておきなさい。あなたたちはこの世界に勝手に絶望し、勝手に飽きて、身勝手に滅ぼそうというのでしょう。この世界に住むモノの言葉も聞かずに!」

 跳躍する。赤い流星のように炎を纏いながら隆起兵に飛来する。隆起兵は己の力が効かないと悟ると、その槍で物理的攻撃に出る。

 横一文字に振るわれる大きな槍。空中にいるマハトメはおそらく避ける事は出来ない。しかしその槍が彼をなぎ払う事は無かった。

 一振りの剣が世界画廊の天井を貫いていた。対陸剣が槍を受け止めている。

「流石です。ファルバッホ、助かりましたよ」

 焔の掌が隆起兵を捕らえた。伝染、連鎖、侵食。アラビエの大火が隆起兵の体を焼いていく。

「ここでお別れです、ゼルヴェンディアの隆起兵。良かったですね? 訪れましたよ。あなたが望む変化というやつが」

 時間に空間にヒビが入る感覚。これは声か。隆起兵の痛みの叫び、或いは歓喜の咆哮なのかもしれない。

 マハトメは地面に着地すると両手に手袋をはめる。焔は隆起兵を殺してもなお勢いが止まらない。

「燃え尽きても構わないと思って炎を封じずにやってしまいましたが…まずいですね。急いで此処を出ましょう」

 隆起兵の亡骸は瞬く間に灰へ変わり、そしてそこから伝播するように焔は世界画廊の天井にも壁にも燃え散る。

「フリージア様、行きましょう。ここにいては貴女も焼け死んでしまいます」

 そう言って手を差し伸べるマハトメ。しかしフリージアはその手をとらない。

「いいえ。私は行かないわ。私はゼルヴェンディア様と一つになりたくは無かった。でもそれはあの方を愛していたから。一つになればあの方を愛せないからなの」

 フリージアは微笑む。そしてマハトメの手を優しく押し返した。

「あの方がいなくなってしまったのなら私の生きる意味はない。ここで果てるわ」

 それは本当に貴女の心なのか。貴女は純粋な存在だ。自分を連れ出したのがたまたま隆起兵だったから、そんな感情を抱いたのではないのか?

 そんなマハトメの心を感じたかのようにフリージアはこう続ける。

「この心は私のもの。リンドブルムでもない。創られたものでもない」

 ゆっくりと目を瞑る。彼女にもう言葉は必要ないように思えた。

「分かりました。では、安らかに」

 マハトメは最後に騎士のようにフリージアの手の甲にキスをした。

「急げ! この画廊が焼け消える!」

 ファルバッホが声を荒げる。マハトメは彼女のもとに駆け寄り、この画廊にはフリージアだけが取り残された。

 扉の向こうに見えるフリージアの顔は焔の中に身をおきながらも安らかだった。

「無理にでも連れ出さなくて良かったのか?」

 金の乙女はマハトメの顔をうかがった。彼は無言で頷く。

「ならいい。で、これからどうする?」

 …少しの沈黙。そして…

「オリジンとジュナを消し去り、この世界の解放を。それだけです」

「そうか」

 そして二人は駆け出した。世界の創造者の待つアパートの残骸へ。永遠を生きる者達の愚かな戦いは、隆起兵の消滅と共に加速する。

 

 

 

 

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